議事録(概要)
「日本の学術 ~これまでとこれから~」
大野英男(第22代東北大学総長、東北大学特別栄誉教授)

はじめに
本講演は、国際卓越研究大学制度をはじめとする近年の大学政策の背景を理解するため、日本の学術の歴史的経緯と現状を踏まえ、制度的課題を整理する視点から構成している。大学制度論に至るまでの流れを俯瞰的に示すことを主眼とする。
日本の科学技術の源流とノーベル賞
日本の学術を考える出発点として、ノーベル賞の実績が挙げられる。日本の自然科学分野におけるノーベル賞受賞実績は、21世紀以降で世界第2位に位置しており、国際的に高い水準を維持している。1949年の湯川秀樹以降、累計27名が受賞している。
また、ノーベル賞推薦記録から、1901年の第1回において北里柴三郎が血清療法の功績で推薦されており、本多光太郎(東北大第6代総長)やビタミンの発見者である鈴木梅太郎なども、早い時期から世界の研究者ネットワークの中で高く評価されていた実態が確認される。日本の近代科学は早期から国際連携の中で形成されてきた。
こうした人材を輩出した背景として、江戸時代に遡ると、寺子屋による高い識字率、和算文化、測量技術、出版文化の発展などにより、広範な知的基盤が形成されていたことがある。各藩から江戸の学問所への留学制度も存在し、人材育成と知識循環の仕組みが整備されていた。こうした社会的基盤が、近代以降の科学技術発展を支えた。
東北大学においても、本多光太郎以来の伝統が、現代のデジタル社会を支える磁気記録やフラッシュメモリー、あるいはコレステロール降下薬といった、世界に多大な影響を与える実学の成果へと結実している。
国立大学の変遷と研究環境の構造的課題
戦後の大学では、講座制のもとで基盤的経費が安定的に配分され、研究者は長期的視点で研究に従事することが可能であった。研究者のキャリア形成は必ずしも安定していたわけではないものの、終身雇用に近い雇用環境もあり、研究者が長期的視点で自身の興味を追求できる環境が一定程度確保されていた。
しかし、2004年の国立大学法人化を境に、状況は激変した。政府からの運営費交付金は削減または横ばいとなり、物価上昇や社会保険料の負担増を考慮すれば、実質的な研究リソースは目減りし続けている。大学側はこれに対応するため、人件費を削減せざるを得ず、研究者数の減少が進行した。競争的資金は一定規模を維持しているものの、実質的な価値は低下しており、海外との賃金格差の拡大が人材確保の制約となっている。これが日本の研究力衰退の大きな要因となった。
論文数において日本は世界3位から5位へと順位を下げている。加えて、被引用上位10%論文の割合はさらに低く、研究の質的側面でも相対的な低下が見られる。分野別に見ても、かつて上位に位置していた領域の多くで順位が低下しており、将来の産業競争力への影響が懸念される。また、博士課程進学者数も伸び悩んでおり、社会的評価や経済的不安が背景にある。近年は支援制度の拡充により改善の兆しも見られるが、依然として課題が残る。
特に深刻なのは「研究時間の減少」である。2002年頃には研究時間の半分以上を純粋な探求に充てられていたが、現在はその割合が3分の1程度にまで低下している。法人化に伴う自己点検評価、認証評価、あるいは省庁再編によって生まれた各種プログラムへの対応といった事務的・管理的業務の増大が、研究者の時間を奪っている。日本が少子化を理由に大学投資を抑制してきた間に、他国は国力の源泉として投資を拡大しており、その差が論文数や論文インパクトの国際ランキングの低下として顕著に表れている。
大学経営の確立と「国際卓越研究大学」
現在の地盤沈下を打破するためには、大学が「経営」という視点を持ち、自律的な運営体制を確立することが不可欠である。これまでの大学は、学部・研究科単位の分権的運営が中心であり、全学的な経営視点が不足していた。このため、資源配分の最適化や重点分野への投資が困難であった。世界トップレベルの大学が事業規模を拡大し、自らの意思で若手支援や設備投資を行うなか、日本の大学は制度上、資金の蓄積や再投資が困難な会計の仕組みに留まっており、組織としての成長が制約されてきた。
「国際卓越研究大学」制度は、この構造を抜本的に変える試みである。大学が社会とエンゲージし、産学連携や事業収益を確保することで、それを卓越した研究環境や若手研究者の育成へ再投資する「エコシステム」の構築を目指すものである。ガバナンスの強化は、限られたリソースを効果的に配分し、研究者が研究に専念できる体制を整えるための手段に他ならない。
大学は教育・研究に加え、社会や産業と連携し価値を創出する存在として再定義されつつある。地域や社会との関係の中で、その役割は一層重要になる。東北大学は国際卓越研究大学として、事業規模の拡大(20数年後には現在の約1,500億円から倍増)を掲げ、地域や国際社会に貢献する知の拠点として成長することを目指している。これは地域経済にとっても大きなチャンスである。人材の育成と還流を通じて、東北全体の豊かさへと繋げていきたい。
議論の様子(一部抜粋)
Q1.稼げる大学への転換により、基礎研究が軽視される懸念はないか。基礎研究は豊かな国に任せるべきとの意見もあるが、基礎研究の重要性とリソース配分をどのように考えているか。
A. 大学の本質を理解し、基礎研究を財政・環境面で支えることが重要だ。教員がすべてを担うモデルは限界であり、研究に専念できる環境を作るため、収益化を担う別働隊との協働体制へ移行すべきである。大学は他活動の収益を非収益分野へ戦略的に配分し、多様な学問を維持する責務がある。
Q2.教育と研究は両輪だが、時間的・資金的に相反する面もある。両者の関係はどうあるべきか。
A. 最先端研究の教育は学生と共に取り組むべきだが、基礎的な講義などの知識伝達はIT活用や専門人材の配置により効率化し、トップ研究者の負担を軽減する体制が必要である。
Q3.大学が社会との人材流動性を高め、活力ある教育プロセスを構築するために必要な設計は何か。
A.大学は社会に開かれた場として、多様なキャリアを持つ人々が自由に出入りし、新たな体験ができるよう設計し直す必要がある。活力を失わないプロセスを体現し、学生が社会で活躍する具体的なイメージを持てる場であることが重要である。
Q4.大学発ベンチャーへの期待と現状、展望は。
A. 非常に期待している。起業志向は一定程度生まれており、大学による支援の余地もある。例えば、学生のアントレプレナーシップを育て、大学が場所の提供や、資金の余裕がない場合の株の引き受けなどの支援を行うなどして、エコシステムをブーストしていくことが考えられる。一方で、小規模な段階でのエグジットが多く、成長のあり方には課題もある。スタートアップは社会を活性化させる重要な「部品」であり、成功例が増えることで大学の制度整備も加速する。少子化で縮むのではなく、生き生きとした社会を創る一翼を担ってほしい。
Q5.ガバナンス強化や特定分野への特化により、地味な基礎研究が埋没しないか。国立博物館が収益化を求められている例もあり懸念している。
A. 基礎研究の完全な自己収益化は不可能であり、国の継続的な支援が不可欠である。その上で、大学経営の役割として、他活動の収益を非収益分野へ戦略的に配分し、多様な学問を維持することが重要だ。また、先端研究には絵画のようなある種の「センス」が問われる。長期的な視点で研究を継続できる仕組みが必要であると同時に、潤沢なリソースを使用する研究者には、基礎・応用を問わず質の高い研究を行う責務がある。淘汰を経て真に価値ある研究が残る仕組みがこれからも必要だ。
Q6.中国・韓国・台湾などの近隣諸国との国際交流、および環境保護などの分野での接点について。
A. ネイチャーポジティブや環境DNA解析といった共通課題は、近隣諸国と連携できる大きな領域である。国際的なOBネットワークも活用し、地政学的な状況を超えた学術交流を広げていけるとよい。
Q7.基礎研究を「金」に結びつけるための、大学の機能はどうあるべきか。
A. すべての研究者が営業活動まで行う必要はない。交渉が得意な教員は自ら行えばよいが、興味のない研究者に代わって大学側が「これは役に立つかもしれない」と産業界に繋ぐ、ある種の営業やマッチングを担う機能が必要である。数学などの純粋な分野でも産業と結びつく例はあり、大学がその橋渡しをすべきだ。
Q8.AIの進化に対し、大学としてどう対応し、どのような人材を育てるべきか。
A. AI活用はもはや避けて通れず、研究生産性を上げるために取り入れていくしかない。政府も「AI for Science」への投資を始めている。我々もAIを使って研究することに慣れる必要がある。多様な人たちが草の根でAIを活用して成果を出せるような障壁のない仕組みを整えていくべきだ。
Q9.大学と地域や企業との連携を進めたいが、外部が求める短期間の成果と研究者が志向する長期的なスパンには乖離がある。こうした資金獲得のための活動は、必ずしも「トップ10%論文」という既存の学術評価には直結しない。今後は「社会インパクト」の導入など、指標そのものが多角的に変化していく余地はあるのか。
A.評価指標は変わるべきであり、社会インパクトの測定は困難だが多様な軸が必要だ。トップ10%論文に直結せずとも、共同研究による収益は間接経費等を通じて大学運営に貢献しており、エコシステムの一部として評価されるべきである。国際的な枠組み形成への寄与など、論文数以外の多角的な指標作りが求められる。一方で、経営体としての自立との折り合いも重要である。
Q10.ノーベル賞級研究は今後も日本から生まれるか。「選択と集中」と多様性のバランスは。
A. 日本からノーベル賞はこれからも出るだろうと楽観している。こだわりを持つ個人が突き詰めて楽しめる環境がある限り、受賞者は出続ける。問題がわかっている時は「選択と集中」も有効だが、将来が不透明な時は、広く個々の得意なことを伸ばす仕組みが安全保障にも繋がる。特権的な立場にある研究者には、それに見合った成果を出す責任がある。
Q11.学外者が入る「運営方針会議」などのガバナンスが、稼げるかどうかの指標を最優先してしまわないか。
A. 外部の目を入れるのは、社会からサポートを得るために不可欠だ。学外の視点による議論を通じて、大学の運営方針を社会に納得してもらう必要がある。社会の目を「説得」できないようでは大学は立ち行かない。適切なガバナンスと議論こそが、基礎研究を維持するための社会的な信頼に繋がる。
宮城の日本酒
ざっくばらんな意見交換を促進することを目的として、季節の限定酒をご用意しました。なお、以下は用意した日本酒の銘柄、造り、使用米、精米歩合、製造年度を示しています。
1.伯楽星 純米大吟醸 雄町40% 7BY
三本木 新澤醸造店 四年連続 世界酒蔵ランキング第一位
2.宮寒梅 純米大吟醸 醇麗純香 ひより・美山錦35% 7BY
大崎市 寒梅酒造 全国新酒鑑評会出品酒 特約店酒
3.萩の鶴 純米大吟醸 山田錦40% 6BY
栗原市金成 鑑評会出品用 フランスでも高評価
4.黄金澤 純米大吟醸 山田錦40% 6BY
美里町 川敬商店 女性杜氏が醸す 連続金賞受賞酒
5.鳳陽 純米大吟醸 鑑評会出品酒 まなむすめ45% 6BY
富谷町 内ケ崎酒造 宮城県最古の蔵 秋の宮城県鑑評会受賞酒


1954年生まれ。東京都出身。1982年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了(工学博士)。東北大学工学部教授、同大電気通信研究所教授、所長、同研究所付附属ナノ・スピン実験施設施設長、同大スピントロニクス学術連携研究教育センター長などを経て、2018年から第22代東北大学総長、2024年から東北大学総長特別顧問。専門はスピントロニクス、半導体物理・半導体工学。2003年The IUPAP Magnetism Prize、2005年日本学士院賞、2011年トムソン・ロイター引用栄誉賞など受賞多数。
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